「なんかこの人、苦手だなぁ」と感じるとき

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誰にでも、「なんとなくこの人苦手だな」と感じる相手がいます。

嫌なところがあるとか、合わないとか、説明できることもあれば、

「ただ、なんか無理」というふうに、理由がうまく言葉にならないこともあります。

そしてそういうとき、少しだけ自己嫌悪も混ざってきます。

「こんなふうに思っちゃいけないよな」って。

「もっと大人にならなきゃ」って。

でも、そう思えば思うほど、モヤモヤが消えなくなったりして──

精神分析の祖・ジークムント・フロイトは、こうした心の動きを「防衛機制」と呼びました。

中でも「投影(プロジェクション)」という仕組みはとても有名です。

それは、

自分の中にあるけれど、認めたくない感情や性質を、他人に映し出してしまうという働き。

たとえば──

ズルい人に強く腹が立つのは、自分にもズルさを感じたことがあるからかもしれません。

自信過剰な人に反発を覚えるのは、内心うらやましさや劣等感があるからかもしれません。

苦手な人に感じる「これは許せない」という気持ち。

それがじつは、自分の中のどこかにある“受け入れきれていない部分”だったりする。

そんなふうにフロイトは、人の心の深いところを教えてくれます。

誰かを苦手に感じることは、

わがままでも、未熟でも、意地悪なわけでもなくて。

ただ、心が反応したというだけの自然なことなんです。

「私たちは、自分の中にある抑圧されたものを、他人の中に見いだす傾向がある」

― ジークムント・フロイト(『精神分析入門』より)

感情の動きには理由があって、

それを自分で自分に気づかせるために、人を通して見せられることもある。

でも、無理に掘り下げたり、直そうとしたりしなくても大丈夫。

「あぁ、今ちょっと心がざわついたな」

そのくらいの気づきでも、じゅうぶんです。

人間は、聖人じゃない。

誰かを苦手に思ったり、ちょっと距離をとりたくなったりするのは、ごく自然なこと。

むしろ、「それでも関わっていこう」と思えることがあるなら、それだけで大切な一歩です。

苦手意識は、無理に消さなくていい。

ただ、そう感じる自分の心に少し目を向けてあげられたら、

それだけで世界の見え方がほんの少しやわらぐ気がします。

だから今日も、もしモヤッとすることがあったら、こうつぶやいてみてください。

「まぁそんなもんか」って。


訪問看護ステーション アイビー燕

管理者 高田

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