“「やっちゃったかも」で止まらなくていい”

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ふとしたときに、「ああ、やっちゃったかも」と思い出す瞬間ってありませんか?


そのときは一生懸命だったのに、あとから「もう少し上手くできたんじゃないかな」なんて。

私自身も、何気ない一言や行動が気になってしまって、

夜になってからひとり反省会を始めることがあります。

そんなときって、どうにも寝つけなかったりするんですよね。

でも、そうやって思い返してしまうのって、

その場で「うまくやりたかった」って気持ちがあったからなんですよね。

相手を大切に思っていたからこそ、

もっと良い伝え方ができたんじゃないかと悩んだり、

自分なりに一生懸命だったからこそ、モヤモヤが残ったりする。

…うん、私もよくあるんです。

だから、そう思えること自体が「人間らしさ」なんじゃないかなって思います。

アドラーはこんな言葉を残しています。

「失敗を恐れることは、成長を止めることだ」

うまくいかなかった経験も、「やってみた」からこそ得られたもの。

何もしなければ、後悔も反省もないけれど、

それは何も始まらなかったということでもあります。

今日はうまくできなかったかもしれない。

でも、それでも「やってみた自分」は、ちゃんと前に進んでいるんです。

人間って、そういう“ちょっとの積み重ね”でできてると思うんです。

だから、「やっちゃったかも」って思う夜も、

少しずつ、誰かに優しくなれる力を育てているのかもしれません。

まぁ、そんなもんか。

そう思って、今日の自分に少しでも優しくしていただけると嬉しいです。


訪問看護ステーションアイビー燕

管理者 高田 郷士

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