その“嫌われたかも”は、”相手の声”じゃなくて”自分の声”かもしれない

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先日、訪問の中でこんなことを考えました。

人と話しているときに、ふっと相手のため息や間が気になってしまうことってありませんか?

「もしかして嫌われているのかな」「裏で悪く思われてるのかも」――

そんなふうに思ってしまうのは、とても人間らしい反応だと思います。


でも実際のところ、相手が何を考えているかなんて、誰にも本当にはわかりません。

ため息はただ疲れていただけかもしれないし、間があったのは考えごとをしていただけかもしれない。

それを全部「自分のせい」と結びつけてしまうと、どんどんしんどくなってしまいます。


アドラーはこんな言葉を残しています。

「他者があなたをどう思うかは、あなたの課題ではない」

つまり、相手の心の中まで背負い込む必要はないということ。


相手が言葉にしてくれたことを、そのまま受けとめていれば十分なんです。


人の心はわからない。だからこそ「わからなくて当然」なんです。

想像で自分を傷つけるよりも、「まぁ、そんなもんか」と受け流していくほうが、ずっと楽に生きられるのかもしれません。

訪問看護ステーションアイビー燕 管理者 高田

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