どうして“必要な言葉”ほど痛く感じるんだろう

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「それって、自分のためを思って言ってくれてるんだろうな」

そう思えるのに、なぜか胸がギュッと痛むときがあります。

内容としてはまちがっていないし、

もしかしたら“今の自分にとって必要な言葉”だったのかもしれません。

でも、どうしてか、それが心にすっと入ってこないことってあります。

わかってる。

本当にわかってるんだけど──

受け止められる気持ちになれてないだけなのかもしれません。

必要なことを言われて傷つくのは、

たぶん、自分でもうすうす気づいていたから。

でも、すぐに変われるわけじゃないし、

「できない自分」を見せるのは、やっぱりこわい。

だからつい反発したり、落ち込んだり、黙ってしまったり。

それは“その言葉が悪い”んじゃなくて、

まだ整理できてない自分の中身があるってこと。

そう思うと、少しだけ心がやわらかくなります。

そのときはうまく受け取れなかった言葉が、

時間が経つと、ふと心に入ってくることがあります。

「あぁ、あの人なりに、ちゃんと見てくれてたんだな」って。

「課題に立ち向かう勇気があれば、どんな言葉も力になる」
― アルフレッド・アドラー

でも、勇気って、いつでも持てるものじゃないですよね。

だからこそ、今すぐ受け止められなくても大丈夫。

必要な言葉は、必要なときに、ちゃんと届くものです。

どんなに穏やかな言葉でも、

ちょっとしたタイミングのずれや、心の状態で、痛く感じることはあります。

でも、それって「弱さ」じゃなくて、

人としての自然な反応だと思うんです。

だって、私たちはロボットじゃない。
日々いろんな気持ちを抱えながら、精いっぱい生きてるんですから。

だから今日も、自分の感じたことに、無理にフタをしなくていい。

ただそっと、こうつぶやいてみてください。

「まぁそんなもんか」って。


訪問看護ステーション アイビー燕 管理者 高田

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