“みんな同じ”じゃなくて、“みんなそれぞれ”でいい

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最近、SNSを見ていると
「若い人 vs 年配の人」とか
「男 vs 女」とか
「持ってる人 vs 持ってない人」とか……
つい“分けて比べる”空気に触れることが増えました。

比べるたびに、どこかがギスギスしてしまう。
見ているだけで、ちょっと疲れますよね。

 
でも、本当は当たり前なんです。
体力も気力も、得意も苦手も、背負っている荷物も——
人はみんな、ばらばら。

“みんな同じに”扱うこと(平等)は気持ちがいいけれど、
同じやり方が、いつも誰かを楽にするとは限らない。

たとえば、朝が苦手な人もいれば、
音や光に疲れやすい人もいる。
1時間まとめて頑張れる人もいれば、
10分ずつなら続けられる人もいる。

だから私は、生活の場では
“その人に合うように”整えること(公平)を
少しだけ大事にしたくなります。

 
アドラーはこんな趣旨のことを言っています。

「他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べよう。」

比べる相手を変えるだけで、
世界のトゲが少し丸くなる。

“同じじゃなくていい”と決められた瞬間、
自分にも周りにも、ちょっと優しくなれます。

 
たとえば、約束の時間にいつもギリギリで来る人。
“同じように厳しく”より、
5分早めに集合を伝えてみるだけで
その人は急に楽になるかもしれません。

会議で話したがらない人には、
「発言しなくてもOK。あとでメモで教えて」でもいい。

勉強や仕事も、
“1日1時間”が難しければ
“1日10分×6回”にしても、進むことは進む。

同じ形にそろえるより、
それぞれのペースに合わせる。
それが、やさしい公平さ。

 
社会全体をいきなり“やさしく公平”にするのは、むずかしい。
でも、自分と自分の半径の人たちだけなら、今日から変えられる。

同じにしなくていい。
“みんなそれぞれ”で大丈夫。

それぞれの「ちょうどいい」を、
それぞれの方法で見つけていけたら——
それだけで、生きやすさは少しずつ増えていくはずです。

まぁ、そんなもんか。
そのくらいのゆるさで、今日も。


訪問看護ステーションアイビー燕 管理者 高田

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