一緒に悩む、という優しさ

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誰かと関わっているとふと「なんでこんなに疲れるんだろう」と感じる瞬間があります。

相手に合わせすぎてるのか、
自分がわがままなのか、
それとも、そもそも合わないだけなのか。

理由を探しても探しても、
正解がどこにも見つからない。

人と関わるって、
思っている以上に“痛み”のあることなんですよね。

でもそれって、悪いことじゃないのかもしれません。

痛みがあるのは、
ちゃんと向き合ってる証拠かもしれないし、

その痛みが必要なものなのか、
それとも手放してもいいものなのか、
それを考えることが“人と生きる”ってことなのかもしれません。

ここで、アドラーの言葉をひとつ。

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。」
― アルフレッド・アドラー

関係にまつわる痛みをどう扱うか。
そこに、人としての悩みも、成長も、優しさも詰まっているのだと思います。

ただ、その問いに一人で向き合うのは本当にしんどい。
自分の感情と相手の感情が絡み合って、
ごちゃごちゃになって、
“ひとりでは答えが出せない問題”になってしまう。

だからこそ、人と生きる。

誰かと一緒に考える。
「これは持っていていい痛みなのか」
「これはもう捨ててもいい痛みなのか」
って、話しながら決めていく。

その時間が、たぶん「関係を育てる」ってことなんだと思います。

本当に優しいって、
「全部わかるよ」と寄り添うことじゃなくて、
「一緒に考えようか」って横にいてくれること。

本当に支えるって、
「楽にしてあげること」じゃなくて、
「必要かどうか、一緒に見極めること」。

精神科訪問看護って、
そういう関わりをする場所だと思っています。

痛みをゼロにするんじゃなくて、
“痛みとどう向き合っていくか”を支える。

そして、
自分で選び取っていけるように見守る。

人って、ひとりじゃ抱えきれないから。
だから、人と生きていくんだと思います。

― まぁ、そんなもんか。


訪問看護ステーション アイビー燕 管理者 髙田

※アドラー心理学より
アルフレッド・アドラー(1870–1937)は、オーストリアの精神科医・心理学者であり、人間の悩みの根源を「対人関係」にあると捉えたことで知られています。「嫌われる勇気」にも引用されているこの言葉は、現代の人間関係においても大きな示唆を与えてくれます。

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