“出来ること”と“無理をしたら出来ること”

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最近、とてもよく思うことがあります。

「できる」って、実は2種類あるんだなって。

ひとつは、背伸びをして頑張って「できる」こと。

もうひとつは、息をするように当たり前に「できる」こと。

人間って、どうしたって無理をしないとできない場面もあるし、

がんばった結果、どうにかできるようになったこともある。

でも、それがずっと続くかといえば…

必ずしも、そうじゃなかったりするんですよね。

実は、私たちって、もともとみんながんばって生きているんですよ。

それなのに「がんばる」という言葉が、

無理を重ねて自分を追い込むような意味に聞こえてしまうことがある。

それはきっと、「できる」ということに、

自分でも気づかないくらい背伸びを重ねてきたから。

もちろん、がんばって「できた」ことにも価値がある。

でも、人生って長距離走ですから、

ずっと背伸びのままでは、きっとどこかで苦しくなってしまう。

アドラーは、こんな言葉を残しています。

「健全な劣等感とは、“理想の自分”と“今の自分”のギャップに気づきながら、ただ淡々と前に進むことだ」

つまり、「できる人」と比べて焦る必要はない。

自分が自分のペースで積み重ねていければ、それで十分なんです。

大事なのは、今の自分にとって「無理せず続けられること」。

それが1日5分でも、1つでも、

自分にフィットしているなら、それでちゃんと進んでいるんです。

6月

4月から新しい環境や変化の中でがんばってきた方にとっては、

そろそろ疲れが表に出やすい季節かもしれません。

でも大丈夫。

誰だって、ずっと全力で走り続けることはできないから。

「今の自分なら、このくらいがちょうどいいかな」

そうやって、自分のペースを見つけること。

それも立派な前進です。

無理しない。

焦らない。

がんばるべき時にはがんばる。

でも、がんばらなくていい時は、しっかり休む。

それが、「まぁそんなもんか」という生き方がちょうど良いのかもしれません。


訪問看護ステーションアイビー燕
管理者 高田 郷士

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