言葉は、年輪みたいなものかもしれない

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「リンゴ」と聞いて、
あなたは何を思い浮かべますか。

赤いリンゴを思い浮かべる人もいれば、
皮をむいて切ってあるリンゴを想像する人もいる。
木になっているリンゴの姿を思い浮かべる人もいれば、
甘さや酸っぱさ、子どもの頃の記憶が浮かぶ人もいるかもしれません。

同じ言葉なのに、
頭に浮かぶ景色は、人それぞれ違います。

それが、言葉のおもしろさであり、
同時に、難しさでもあるんだと思います。


私たちは普段、
同じ言葉を使って会話をしています。

でも実際には、
まったく同じ意味で言葉を受け取っている人はいない
のかもしれません。

「大丈夫」
「頑張る」
「普通」

どれもよく使う言葉ですが、
その言葉にどんな景色が重なっているかは、
その人がこれまで生きてきた時間によって変わります。

だから、言葉は
ただの音や文字じゃなくて、
その人の歴史を背負っているものなんだと思います。


木の年輪って、
毎年同じように一本ずつ増えていきますが、
よく見ると、太さも、濃さも、歪み方も全部違います。

雨が多かった年、
寒さが厳しかった年、
風にさらされた年。

その全部が重なって、
一本の木の年輪になります。

言葉も、きっと同じです。

同じ「リンゴ」という言葉でも、
その人がどんな時間を過ごしてきたかで、
思い浮かぶ景色も、込められる感情も違ってくる。

だからこそ、
同じ言葉なのに、
重く感じることもあれば、
どこか面白く感じることもある。

言葉には、
その人が生きてきた年輪が、
静かに染み込んでいるんだと思います。


だから、言葉がうまく通じなくても、
すれ違ってしまっても、
それは失敗じゃないのかもしれません。

年輪が違えば、
同じ言葉が同じ形で届かないのは、
むしろ自然なこと。

それでも人は、
何度も言葉を交わしながら、
少しずつ、お互いの年輪に触れていく。

重たい言葉も、
やさしい言葉も、
笑ってしまうような言葉も、
全部、その人が生きてきた証なんだと思います。

今年も、
たくさんの言葉に出会いました。

その一つ一つに、
それぞれの年輪があったんだなと思うと、
言葉って、やっぱり面白いなと感じます。

――まぁ、そんなもんか。


訪問看護ステーションアイビー燕
管理者 高田

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