転んで初めて見える”景色”もある

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最近、ふと感じたことがあります。

つい、身近な人に強い言葉をかけてしまうこと。

つい、頑張りすぎて息切れしてしまうこと。

つい、本心からじゃないのに、人から離れようとしてしまうこと。

人間は”ついつい”いろいろな行動をしてしまいますよね。

自分でも「やってしまった」と思うことが増えると、

どこか落ち込んだり、自分を責める気持ちになってしまうこともあるかもしれません。


でも、私たちが大事にしているのは、”転ぶこと”なんです。

なるべく転ばないように、失敗しないように…と気を張っている方こそ、

その”転ぶ”経験にとても慎重で、

どこかで”転ぶ”=”だめなこと”と思ってしまっているように見えることもあります。

けれど、転んでみなければ見えない景色って、たしかにあると思うんです。

転んだ先だからこそ気づけること。

転んで、起き上がる時にだけ手に入る視点。


アドラーはこう言っています。

「人生の意味は、あなたがそれに与える意味によって決まる。」

転ぶことにどんな意味を与えるかは、いつだって自分で決めていい。

それを“失敗”とするのか、“通過点”とするのか。

それとも、“成長の種”だったとあとから気づくのか。

誰にとっても転ぶのは怖いものです。

でも、その怖さを経験しながらも、自分なりに意味づけをしていくこと。

それが、その人らしい人生の形になっていくんだと思います。


うまくやろうとしなくて大丈夫。

転んだ自分を責めなくて大丈夫。

その転び方も、立ち上がり方も、

ひとつとして間違っていないんだと、私は思います。

“まぁいっか。そんなもんか。”

そんなふうに少し肩の力を抜ける日が、

また訪れますように。

訪問看護ステーションアイビー燕

管理者 高田

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