
子どもの頃に苦手だった場所や音って、
大人になっても少し身構えることがあります。
たとえば、歯医者の音や匂い。
今の歯医者さんが悪いわけではなくても、
昔の怖かった感じがそこにくっついていて、
音を聞いただけで体が少し固まることがあります。
食べ物も似ているかもしれません。
味そのものが苦手というより、
無理に食べた時の空気や、
嫌だった感じまで一緒に残っていることがある。
頭では “今はもう大丈夫” と思っていても、
体のほうが先に覚えているようなことがあります。

反対に、“好き”な気持ちにも、
何かがくっついていることがあります。
たとえば、ディズニーランドが好きという時も、
キャラクターだけを好きで行っているわけではないことがあります。
音楽、匂い、光、人の流れ、
帰り道の少し疲れた感じまで含めて、
”あの場所が好き” と感じているのかもしれません。
昔よく聴いていた音楽もそうです。
曲そのものだけではなく、
その頃の部屋や季節や、
一緒にいた人や、自分の気分まで戻ってくることがあります。
“好き” も “嫌い” も、
ものそのものだけで決まっているわけではないのかもしれません。

「人間は意味の領域に住んでいる。
私たちは純粋な状況を経験するのではなく、
つねにその状況を自分なりの意味で経験している」
ーーーアルフレッド・アドラー(意訳)
人は、目の前のものだけを見ているようで、
そこにくっついた記憶や感情も一緒に見ているのだと思います。
歯医者の音に怖さが残っていたり、
昔の曲にその頃の気分が戻ってきたりするのは、
ものそのものだけではなく、
その時の体験まで一緒に感じているからなのかもしれません。
だから、 “好き” も “嫌い” も、
理屈だけでは片づかないことがあります。

自分の “好き” や“嫌い” を、
すぐに正しいとか間違いで決めなくてもいいのかもしれません。
なんで苦手なんだろう。
なんでこれが好きなんだろう。
そう思うものの中には、
昔の怖さや、安心した感じや、
楽しかった時間が少し残っていることがあります。
無理に剥がそうとしなくても、
“ああ、何かくっついているのかも”
くらいで見られると、少し扱いやすくなるのかもしれません。
“好き” も“嫌い”も、
その人が通ってきたものが少し残っているだけなのかもしれません。
まあ、そんなもんか。
訪問看護ステーションアイビー燕 管理者 高田
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