同じ”景色“を見ていても、”見えているもの“は違う

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最近の訪問の中で、こんな言葉を耳にしました。

「どうしてあの人は、あんなふうに思うんでしょうか?」

「私には信じられなくて…」

たしかに、同じ出来事を見ているはずなのに、人によって感じ方や受け取り方がまったく違うことってありますよね。

それもそのはずで、わたしたちは「同じ世界にいるようで、実はそれぞれ違う世界を見ている」のかもしれません。

人間は、自分にとって意味のあることしか受け取れないと言われています。

疲れている人には、他人の小さな言動が攻撃に見えることもあるし、

自分に余裕があるときは、同じ言葉が優しさに見えることもある。

そのくらい、わたしたちの「世界の見え方」は、気分や体調、経験によって揺れ動くものなんですよね。

だからこそ、「自分の当たり前」を他の人にそのまま当てはめずに、

「あの人には今、そう見えているんだな」と想像してみることが大事なのかもしれません。

アドラーはこんなふうに言っています。

「他者の目で自分を見ようとするのではなく、自分の目で世界を見ようとすること。」

誰かの価値観に自分を合わせすぎると苦しくなるし、

逆に、自分の価値観だけで相手を決めつけても、うまくいかない。

それぞれがそれぞれの世界の中で生きている。

だから「違っていて当然」なんですよね。

人と関わる中で、わかり合えないことがあるのは、

「誰かが間違っているから」ではなく、

「見えている世界が違うから」なのかもしれません。

そう思えると、少しだけ心に余白が生まれて、

人のことも、自分のことも、ちょっとだけ許せる気がしています。

訪問看護ステーションアイビー燕

管理者 高田

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