“あえて任せてみる”という選択肢

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誰かが困っていそうなとき、

つい声をかけたり、手を貸したくなることってありますよね。

「助けたい」
「負担を減らしてあげたい」
「間違わないように守ってあげたい」

そんな思いから自然と出てくる行動だと思います。

でも、関わり方の中にはもうひとつ、
“あえて任せてみる”という選択肢もあるのではないでしょうか。

それは、放任や突き放しとは違って、
「この人なら、きっとやりきれる」と信じて、
あえて手を出さずにそっと見守るという関わり方です。

何もせずに待つというのは、とても勇気がいることです。
けれどその“余白”の中に、
誰かが自分の力を試してみる時間や空間があるのだとしたら、
それもまたひとつの“支え方”かもしれません。

私たちは、優しさという言葉をよく使います。
でも「優しい」とは一体、どういうことでしょうか。

・助けること
・先回りすること
・代わってあげること

これらももちろん優しさの一つです。でも、


・見守ること
・待つこと
・任せること

もまた、別のかたちの優しさと言えるのではないでしょうか。

大切なのは「どちらが優しいか」を決めることではなく、
「いま、どんな関わりがその人の力になるのか」を考えること。

「任せる」という行為は、
不安がないからできるわけではなくて、
不安を抱えながらも、信じることを選ぶ行動なのかもしれません。

「助けるべきか見守るべきかの判断は、
相手の力をどこまで信じられるかにかかっている」

― フローレンス・ナイチンゲール

人にはそれぞれ、得意なこと・苦手なことがあります。
また、「今は難しいけれど、練習すればできるようになること」もあります。

その違いを丁寧に見極めることが、関わる側に求められる大切な姿勢です。

すぐに支えたほうが良い場面もあります。
でも、ある程度の困りごとや試行錯誤を“自分で乗り越える機会”として任せることも、
ときに大きな意味を持つことがあります。

任せた結果、少し混乱が起きたり、効率が落ちたりすることもあるかもしれません。
けれど時間が経つ中で、
少しずつその人なりのリズムや工夫が生まれてくることもあります。

その変化は、急激ではないかもしれません。
でも静かに、確実に、「自分で考え、進む力」として根づいていくものです。

「どうするのが正しかったのか」
「もっと早く手を出したほうがよかったのか」

関わったあとに、そうやって迷うこともあるかもしれません。
でも、それだけ誰かのことを真剣に考えていた証でもあります。

信じて任せることは、ときに冷たく映ることもあります。
けれどその奥には、その人の力を信じたいという願いがある。

“任せる”という行為は、
その人の可能性に期待しているというメッセージでもあります。

手を出すことと、任せること。
どちらも、その人を大切に思う気持ちから生まれるもの。

だから今日も、
「やるべきか、やらないべきか」で迷ってしまう自分に、
そっとこう声をかけてみてください。

「まぁそんなもんか」って。


訪問看護ステーション アイビー燕 管理者 高田

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