“見え方”は、少し変わる。

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昨日なら気にならなかった一言が、今日は妙に残る。

いつもなら普通に返せる連絡が、今日は少し重たい。

逆に、昨日まで大きく感じていたことが、今日はそこまででもなかったりする。

同じような毎日でも、受け取り方が少し違う日ってありますよね。


予定はいつもと同じ。

相手も同じ。

やることも、そんなに変わっていない。

それなのに、

今日は少し疲れる。

今日は少し引っかかる。

今日は少し話しやすい。

「昨日は平気だったのにな。」

自分でも、ちょっと不思議に思うことがあります。


「身体は、世界をもつための一般的な媒体である。」

―――メルロ=ポンティ『知覚の現象学』より(訳意)

よく眠れなかった日。

たくさん人と話した日。

少し焦っている日。

なんとなく気持ちに余裕がある日。

出来事そのものは同じでも、それを見ている自分は、昨日とまったく同じではありません。

人が急に変わったというより、その日に立っている場所が少し違う。

そんなこともあるのでしょうね。


今日は、あの一言がやけに気になった。

今日は、いつもの予定が少し重かった。

今日は、昨日より誰かと話しやすかった。

そのたびに、自分まで大きく変わったような気がすることもあります。

でも、昨日には昨日の見え方があって、今日には今日の見え方がある。

明日になったら、また少し違って見えることもある。

毎日まったく同じ場所から世界を見ているわけでもないんでしょうね。

今日は、こう見える日だった。

まあ、そんなもんか。


訪問看護ステーション アイビー燕 管理者 髙田

メルロ=ポンティ・・・20世紀フランスの哲学者です。
人が世界をどのように感じ、受け取るのかを考える中で、
身体と知覚の関係を重視しました。

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