
何日も準備していたことが、ようやく終わった。
その話をすると、「お疲れさま」と返ってきて、
会話は次の話題へ移った。
相手の好きなお菓子を見つけて、買って帰った。
「ありがとう」と受け取ってくれたけれど、
そのまま脇に置かれた。
失敗して落ち込んだ話をすると、
「次から気をつければいいんじゃない?」
と言われた。
返事がなかったわけではない。
でも、会話が終わったあと、
少し寂しさが残る。
そんなことってありますよね。

大変だったところが、
うまく伝わっていなかったのかもしれない。
選ぶときに考えていたことまでは、
分からなかったのかもしれない。
そう思うと、もう少し説明したくなる。
「実は、その前にもいろいろあって・・・。」
「これ、前に好きだって言っていたから・・・。」
相手の返事を聞いてから、
また言葉を足す。
それでも反応が変わらないと、
「こんなに話しているのに」
という気持ちが、少しづつ出てくることがあるのかもしれません。

「人は、自分の気持ちに誰かが共感していると感じることを喜び、そう感じられないことに傷つく。」
―――アダム・スミス『道徳感情論』第一部・第一篇・第二章より(意訳)
私たちは、出来事を話すとき、
その内容だけを渡しているわけではないのかもしれません。
ようやく終わったことを話すときには、
ほっとした気持ちや、少しうれしい感じもある。
お菓子を選んだときには、
受け取った相手の顔を思い浮かべていた。
失敗の話には、
まだ残っている落ち込みも含まれていた。
その返事と一緒に、
気持ちが届いたという“実感”も、
待っていたのかもしれません。

「お疲れさま。」
「ありがとう。」
返事は、確かにあった。
でも、自分はそのあとにも、
「それでね・・・」
と、話を続けようとしていた。
“うれしかったところ” を、もう一度話した。
“大変だった場面” も、少し詳しく説明した。
あのときは、返事と一緒に、
気持ちが届いた“実感”も、
待っていたのかもしれません。
まあ、そんなもんか。
訪問看護ステーション アイビー燕 管理者 髙田
アダム・スミス氏とは・・・
18世紀のスコットランドの道徳哲学者です。
『道徳感情論』では、共感を手がかりに、人の感情や判断、人との関わりを考えました。
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