
長引いた電話を終えて、ようやく自分の作業に戻る。
そこで、
「これも確認してもらえますか」
と声がかかる。
夕食の準備が遅れて、やっと作り始めたところで、
子どもが飲み物をこぼす。
いったん手を止めて、拭きに行く。
体調がすぐれず、用事を済ませてようやく座ったところへ、
家族がいつもの調子で話しかけてくる。
普段なら、そのまま対応できること。
でも、そのときは、
「今、これもか……」
と思ってしまう。
そんなことってありますよね。

「これが終われば、一息つける。」
そう思って、一つずつ対応している。
けれど、終わる前に別のことが起きる。
ようやく済ませたところへ、また次のことが来る。
気がつくと、予定していた時間を過ぎている。
まだ終わっていないこともあるし、
このあとに必要なこともある。
昨日も、こんな感じだった。
その前の日も、落ち着くつもりが、何かに追われていた。
すると、新しく頼まれたことにも、
「またか・・・」
という気持ちが出てくる。
一つひとつが、とても難しいわけではない。
でも、今は“いっぱいいっぱい”。
「今日も、結局こうなんだな。」
そんなふうに思ううちに、
明日も、その次の日も、
同じように追われる気がしてくる。
「いつまで、これを続けるんだろう。」
いつもの声かけに、
いつもの返事が出てこないこともあります。

「過去や未来の出来事を思い浮かべることも、目の前の出来事と同じように、人に喜びや悲しみをもたらす。」
―――スピノザ『エチカ』第三部・定理18より(英訳からの意訳)
私たちは、目の前で起きていることだけを感じているわけではないのかもしれません。
ここ数日、大変だった。
今も、対応することがある。
そこへ、
「明日も、またこうなるのかな」
という思いが重なる。
まだ明日の用事が始まっていなくても、
それを思い浮かべて、少し疲れてしまう。
一つ頼まれただけなのに、
この先もずっと対応している自分まで浮かんでくる。
今の忙しさに、
続きそうに見えた忙しさも重なって、
いっそう重く感じられることがあるのかもしれません。

「これもお願い。」
「ちょっと聞いて。」
いつもの言葉だった。
普段なら、返事をしていたと思う。
でも、そのときは、
「またか」が先に出てきた。
昨日も、今日も、
何度か思った「これが終われば」。
その続きに、明日も同じように動いている自分が浮かんだ。
そのとき感じた“いっぱいいっぱい”には、
まだ来ていない時間も、少し混ざっていたのかもしれません。
まあ、そんなもんか。
訪問看護ステーション アイビー燕 管理者 髙田
スピノザとは・・・
17世紀の哲学者です。『エチカ』では、人の感情がどのように生まれ、何によって動くのかを考えました。
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