“努力”と“結果”は、別のもの。

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時間をかけて準備したのに、思っていたような結果にならなかった。

何度も練習したのに、本番ではうまくいかなかった。

反対に、自分ではそれほど意識していなかったことを、思いがけず誰かに褒めてもらった。

そんなことって、ありますよね。

頑張ったから結果が出る。

結果が出たから頑張っていた。

つい、そんなふうに一本の線でつなげたくなります。

でも実際には、思っていたようにはいかないことも、結構あるような気がします。


考えてみると、“努力”していた時間を一番知っているのは、自分です。

どのくらい時間を使ったのか。

何度繰り返したのか。

なかなかうまくいかない中で、どのくらい続けていたのか。

そこまで全部を、周りの人が見ているわけではありません。

一方で、 “結果” は、自分の外側から返ってくることが多いものです。

音楽を続けていた人が、演奏することとは少し違う形で、音響の仕事にその経験を使うことがあります。

昔から弾いていたピアノを仕事の中で弾いたら、目の前にいた人がとても喜んでくれた。

そんな形で返ってくることもあります。

自分が思っていた場所と、結果が出てくる場所は、案外同じではないのかもしれません。


「努力萬能なりとは斷じ得ぬ。」
ーーー幸田露伴氏『努力論』より

ずいぶん昔から、頑張ったことと、その先に出てくる結果は、そんなに単純な関係ではないと考えられていたようです。

たくさんやっても、思ったところには届かないことがある。

あまり意識していなかったものが、別の場所で誰かに喜ばれることもある。

どこで何が結果になるのか。

そこまでは、自分だけでは決められないのでしょうね。


結果が出なかった日は、

「今回は、結果が出なかったなあ。」

それはそれで、そのままでいいのだと思います。

でも、その前に使った時間や、何度もやってみたことまで、一緒になかったことにしなくてもいい。

「まあ、自分なりには頑張ってたしなあ。」

それは、結果とは別に残っています。

反対に、思いがけず結果が出た日は、

「なんか、うまくいったな。」

そんな風に感じる日も、あるのかもしれません。

まあ、そんなもんか。


訪問看護ステーション アイビー燕 管理者 髙田

幸田露伴氏・・・
明治から昭和にかけて活躍した小説家・随筆家。
『努力論』では、努力を単純に成果へ結びつけるのではなく、努力そのものや、その方向、積み重ねについてさまざまな角度から考えています。

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